イラン・ボーダー≪九月二十九日≫ ―壱―午前二時四十五分。 目を覚まし、おもむろに窓の外を眺める。 月がやけに大きく見えている。 外は強い風と、犬の遠吠えが、静寂した夜の街に、不気味に聞こえてくる。 人が歩いているのだろうか、足を引きずるような音と、時々聞こえてくる”オー!オー!”と言う奇声は、まるでフランケンシュタインの映画でも観るような不気味さが広がっている。 犬が吠えているのは、この奇声のせいなのか。 月明かりと外灯で、外の様子が良く見える。 ”まだ起きるには、二三時間ばかり早いかな?”などと、思いながらも頭だけは冴えてくる。 TVもなく、持参してきたラジオからは、独特な宗教音楽ばかりが、耳に入ってくる。 眠るでもなく、起きるでもなく、悶々とした時が、秒刻みで過ぎて行くのが分る。 それでも、二時間と言う時は長すぎたのだろう。 いつの間にか、深い眠りについていた。 * 午前六時に目を覚まして、慌てて荷物をまとめる。 窓の外は、数時間前のあの不気味さは消え、町はもう動き出しているようで、”ガチャ!ガチャ!”と音を立てながら、お客と荷物を積んだ馬車が、ホテルの前を通り過ぎていく。 廊下に置かれたベッドに、眠っているモンゴル系の使用人が、眠っているの を横目に見ながら、重たくなったバックパックを担ぎ、明るくなったへラートの街並みを、Main通りに向かって足早に歩いた。 バス・ステーションに着く頃には、薄っすらと汗ばんでいた。 すでに毛唐など、同じバスに乗り込む人達が、荷物をバスに積み込んでいる。 オフィスに出向いて、チケットの確認と、乗り込むミニバスの確認を済ませて、バスの出発の準備が整うのをジッと待つ。 早速、イランの札束を手にした、闇屋が近寄ってきた。 闇屋「ManeyChange?」 俺 「レート?HowMuch?」 闇屋「シックスティー・ファイブ!OK?」 俺 「NO!NO!シックスティー・エイト!」 闇屋「オー、ノー!」 68では、私が損をするというように、両手を上げニッコリ笑いやがるので、それなら良いや!と手を振ると、今度は真剣になって食い下がってきた。 闇屋「分ったよ!68.00でいいから、マネー・チェンジ!OK!」 すんなり68.00で良いと言うからには、レートはもっと良いはずと思い、闇屋との取引は不発に終った。 イランの国境に行けば、Bankがあると聞いていたからだ。 * (思ったとおり、イラン・ボーダーのBankでは、一㌦=70.5リアルで交換してくれたのである。) 闇屋が銀行より、レートが低いなんて聞いた事ないぞ。 Afgのお金も底をついていたけど、もうこのバスに乗り込めば、すぐそこがイランだ。 我々の乗るミニバスが、もうオフィスの前に停まっている。 バスの胴体には、あのサイケ調の絵が、原色で書かれていて、なんとも落ち着きのないバスのようだ。 チケットには、シートNOが、記されていていたが、あまり関係なさそうだったので、荷物をバスの上に積み終わると、一番前の席に座った。 半数以上は欧米人で、ほとんどが若い旅行者で占められている。 そんな中、いかにも意地の悪そうな(見た目で判断してはいけないが。)インド人が二人いるのが目に入った。 早速、毛唐とイラン人との間で、席の奪い合いがはじまり、イラン人は一人でなにやら、喚き散らしている。 昔のペルシャ帝国時代の栄光と、石油成金が誇り高きペルシャ人を、最も意地汚い人種に変えてしまったようだ。 そして、この嫌な気分は、イランという国を出国するまで続こうとは思いもよらなかった。 この醜い争いは、バスが発車するまでに、解決せざるを得なかった。 みんなの嫌な視線受け、ばつが悪くなったのだろう、渋々と後ろの席に引き下がっていった。 とにかく、全員の席は確保されている訳だし、何時間も乗る訳ではないのだから、少し我慢すればすむことなのに・・・・そんなに頭にくるほどのことでもないのだ。 * バスは定刻を少し過ぎてへラートの街を出た。 もちろんバスに付いている計器類は微動だにしない。 かなりのポンコツで、アクセルを踏み分けながら、何とか停まらずに走っている。 走っていると、ドアが勝手に開くのか、自動ドアなのか?助手(と言っても、かなりの老人でターバンと白髪が目立つ人)がドアを手で押さえながら、出入り口に立って離れる事が出来ないようだ。 街を過ぎると、砂漠だ。 少しではあるが、低い草木がなびいている。 外は強い風が吹いていて、開いている窓から、強い風がまともに顔に当たってくる。 暫くは我慢していたのだが、一向に窓を閉めようとしない老人の身体を突っついた。 俺「窓を閉めなよ!(Clased the window!)」 老人はブツブツ言いながら、やっとの事で窓を閉めた。 いつもながらの、砂漠の景色が続く。 風は強いが暖かい陽射しに心地よく、単調な道と心地よい振動も手伝って眠りが誘ってくる。 途中、検問所らしき所が一箇所あり、(通行税なのか、助手がバスを降りて、検問所の建物まで走っていき、なにやら手渡すとすぐ戻ってきた。)そこで停まった。 アクセルの調子が悪いらしく、運転手がバスのボンネットを開けてなにやらいじっている。 運転手「いけないな!アクセルが思うように動かないな!」 小さくて心もとないと思っていたミニバスだが、アフガニスタンを横断してきたバスよりもずっと座り心地が良い。 それに、半分以上が、同じ旅行者なので、あの現地の人の無表情な視線を浴びないだけ助かっている。 後ろを見ると、毛唐たちが陽光を浴びて、みっともない格好で気持ち良さそうに眠っているのが見えた。 * 検問所を抜けてどのぐらい走っただろうか。 アフガニスタン側のボーダーに到着したようだ。 イスラマバードの近くだろうか、草木も少し増えてきた。 三つ四つの建物が見えている。 あれがカスタムに違いない。 バスを降り、荷物を屋根から下ろし、カスタムに向かって歩く。 広々とした荒野だ。 風が強く吹いている。 何にもない。 別な建物を見ると、車が一台目に入る。 修理でもしているのだろうか、車の下へもぐったり、車のシートも全部取り外している。 修理ではなく、検査をしているようだ。 麻薬の検査だ。 あんなに解体されて、誰が元へ戻すんだろうな?(俺の素朴な質問ですが。) それにしても、こんなに厳しい検査ははじめてお目にかかった。 建物に入り、最初の部屋でパスポート提出し、出口でスタンプを押してもらい、次は荷物の検査が始まる。 ここでは昔ながらの検査方法を取っている。 まず、一列に並ばせて、各自荷物を開けさせて、検査官の目は四五人後ろの人の行動をつぶさに見ている。 そして、怪しいと睨んだ人の胸に手を当てるのだ。 目の前ではなく、四五人後ろの怪しい動きを察知するやり方だ。 ハッシッシの取り締まりが、ここのカスタムでは厳しく行われているのが分る。 どこかで聞いた話だが、この近くの刑務所には、若い日本人女性がいると言う。 彼女自身は、ハッシッシを持っていなかったが、旅の途中道連れになった、イギリス人の女性がハッシッシを持っていた為に、同罪で逮捕されたのだと言う。 なんともかわいそうな話だが、安易に旅をしていると、こういうことになるので注意するべきだろう。 パスポートの出口スタンプを係官に見せて、荷物をテーブル上に置く。 係官「開けて出しなさい。」 俺 「全部・・・ですか?」 係官「当たり前ね。全部・・ね。」 そういうと、ニッコリ笑った。 珍しい物を持っていると、”これ、何ですか?”などと、一つ一つ手に取って聞いてくる。 イライラしてくる。 こんな厳しい検査は初めてだった。 係官「OK!」 また荷物をバックに詰め込んでいく。 荷物を詰め終えると、ポリス・オフィスでパスポートを見せ、検査が終る。 みんなの検査が終るのを待って、元来た道を戻りバスに向かうのだ。 このボーダーでは、食料も売っていて、毛唐たちは買い物を済ませて、食べながらバスに乗り込んでくるが、俺はアフガンのお金がなくて”腹、減ったなー!”。 ボーダーを出て10分もすると、大平原の中に突如として、近代的な建物とイラン国旗がはためいているのが見えた。 イラン・ボーダーだ。 ミニバスは、建物の傍まで行かず、一キロくらい手前で停車した。 目の前には、同じようなミニバスが、10台以上並んで停まっている。 順番を待っているのだろうか。 ここからイラン・ボーダーの建物まで歩かされるらしい。 相変わらず、風は強い。 大平原を吹き抜ける風だ。 バスから荷物を降ろして、強風の中先頭をきって、建物まで歩き出す。 大平原の中を、こうして歩く姿は、何か映画の中のワンシーンのようで気持ちが高ぶってくるようだ。 イランの国旗がはためくゲートに近づくと、銃を肩から下げた係員が、”あっちへ行け!”と指図するではないか。 さすがに石油の国だ。 服装もビシッと決まっている。 裕福な為か、皆係員は恰幅が良い。 イランへの第一歩を記した。 一㌦≒70.5リアル 一リアル≒4円 |